きつねにっき

推しに引かれて善光寺

林蘭丸というひとのこと 1 HiGH&LOWという物語のこと

今からゆっくり吐き出していくわけですが、人によっては「見てたらわかるやん!」を改めて文章にしていった感じになるかもしれないのでご寛恕いただけると幸いです。

また、当該作品内において描写される諸々の違法行為(喧嘩とかマハラジャボンネットとか)を礼賛する文章ではないことを先におことわりしておきます。

 

はじめに

 今からのお話は2016年からスタートしたテレビドラマ、映画『HiGH&LOW』シリーズにおける悪役『DOUBT』とその中心メンバーである蘭丸が、当該シリーズにおいてディスコミュニケーションという点で異質であることを論証しようというものです。

 

 DOUBTはHiGH&LOWにおける悪役であり、内実共に主体性がなく無個性で類型的な悪の「手数」として扱われています。劇中の言葉を借りれば、「雑用[1]」係です。つまり、「何か悪いこと」が必要な時にはDOUBTが使われます。

 ザムまでのDOUBTはこうした「悪の記号」として存在していました。しかし、創始者である林蘭丸(以下、蘭丸)が登場するザム2において、DOUBTは今までの作品とははっきりと異なった動きをみせます。そこでは悪の記号・象徴として扱われたDOUBTがSWORDと同じく子どもであることが暴露されます。それに伴って悪の象徴が全貌を現した九龍グループへと移行し、「子どもの世界の悪」が終わりを告げるという、悪の脱記号化とも言うべき興味深い現象が発生しているといえましょう。

 だというのに、DOUBTザム3でその存在を抹消され、エンドロールにすら登場しません。さらに、ネット上の大手HiGH&LOW有識者の間でも、ザム3そのものの賛否が激しく問われたためほぼこの点についての言及はありませんでした。また、SWORDのメンバーに対する考察は多数存在するが、DOUBTに考察の対象を絞ったものは今のところ数は多くありません。教えて下さったら読みにまいりますので是非…。

 そのため、本稿はDOUBTの異質性とそれゆえの魅力を指摘し、HiGH&LOWの読解の幅を広げることを目的としています。

 

0.1 各エピソードの整理

 本論に入る前に、ここではHiGH&LOWの各エピソードの内容を整理しておきましょう。ここで取り扱うHiGH&LOW作品は以下の通りです。

 

  • ドラマシーズン1
  • ドラマシーズン2
  • HiGH&LOW THE MOVIE (以下、ザム)
  • HiGH&LOW THE MOVIE RED REIN (以下、レッレ)
  • HiGH&LOW THE MOVIE END OF SKY (以下、ザム2)
  • HiGH&LOW THE MOVIE FINAL MISSION (以下、ザム3)

 

本稿では、主にザム2を取り扱うこととなりますが、他のエピソードとどういった違いがあるのでしょうか。各エピソードを登場人物視点から整理し、ザム3への道筋を示して比較すると、以下のようになります。

 

 

描かれたこと

描かれたことの意味

ドラマ1

(30分10回)

・レッドラム

・家村会との対立

(ノボルと二階堂)

・達磨一家との対立

・山王連合会の説明

・各チームの概説

・達磨一家

 (日向紀久の成長?)

ドラマ2

(30分10回)

・MUGENの過去

・鬼邪高校全日定時激突編

・ROCKYの過去

・RUDE BOYSの過去

・マイティマイティウォーリアー

・MUGENの説明→ザムの燃料

・村山さんの成長

・ROCKYの説明

・RUDEの説明

・マイティマイティウォーリアーの説明

ザム

・張城との対立

琥珀さんとの対立

・SWORDの結びつき

琥珀さんを叩いて直す

レッレ

・上園会との対立

・不正の提示

・雨宮兄弟の成長

・USB争奪戦への布石

ザム2

・九龍グループとの対立

・ご新規の登場人物

 (九龍、プリズンギャング、蘭丸)

・DOUBTとの対立

・USB争奪戦

・White Rascals≒ROCKY中心

 → ROCKYの成長

・九龍グループの説明

・別のボスのほのめかし

・暴露の失敗 → ザム3への布石

ザム3

・九龍グループとの対決

・秘密の暴露

・MUGEN、RUDE中心

 → RUDEの成長

・SWORD全体の成長

 

 こうすると、HiGH&LOWとは若者たちの友情を描くとともに、彼らの成長を描く自己形成物語(ビルドゥングスロマン)といえましょう。

 この自己形成物語としての展開は、HiGH&LOWを制作するLDHの組織システム「EXILE PYRAMID」とも深く関係していると考えられます。このシステムについては以下のように述べられています。

 

 このEXILE PYRAMIDに属するメンバーは、一人ひとりが交流して刺激し合い、活動の幅を広げ、新しいエンタテインメントの可能性に挑戦していきます。[2]

 

次の世代も、きっともっと、笑顔でありますように。[3]

 

 このピラミッドは人数的な問題のピラミッドであって、序列ではないと明言されているということは先に述べておきます。ともあれ、ここでわかるように、EXILEは「世代」という言葉を非常に重視しています。この「世代」という構造はHiGH&LOWにおいても同様、ドラマシーズン1からザム3までの間は「SWORD第一世代」の物語であると明言されていました。つまり、SWORDメンバーはこのピラミッドの中の住人でありEXILE PYRAMIDの構造はそのまま、SWORDの構造にも適用できると考えられます。つまり、HiGH&LOWとは数世代にわたる子どもたち一人一人の同時多発的自己形成物語であります。そして彼らが大人になった今、物語は次世代へつながっていく…のかな。

 

0.2 ザム2の特殊性について

 この項では主な考察対象となるザム2の特殊性について述べます。ザム2は違う筋の物語が同時並行で進んでおり、物語の時間に比して突出して情報量が多いことが指摘できます。ザムはドラマ1、ドラマ2ですでに登場した人物が活躍する物語であり、情報量としては負担にならない量でした。レッレは新たに追加された人物が上園会と弁護士親子、雨宮尊龍のみでしたし、ザム3はこれまでの作品で提示された情報が無名街の公害問題に一気に収束していくため、提示される新情報は多くても過多とまではいきません。

 しかしこれらに対し、新たな(もしくは変化した)登場人物が増えた[4]うえ、冗長な会話部分を排することによって前作よりも明らかに跳ね上がった映画としての質、観客の頭を直接鈍器で殴るレベルのアクション、バルジって言った?主って言った?問題など、これまでの作品とは一線を画した作品となったのがザム2です。 

 さらにその物語の筋を整理すると、SWORD連合 VS DOUBT・プリズンギャングのパートと雨宮兄弟・琥珀さん九十九さんによるUSB争奪戦パートが存在しており、しかもそれらの筋は交わることはありません。そのため、観客は筋の違う映画を同時に見ている状態に極めて近い状態に置かれます。例えるならば、クローズとワイルドスピードマッシュアップを見ている状態で、さらにアウトレイジまで混ざってくるのだからたまったもんじゃありません。

 ですが、物語を統べる立木文彦のナレーションは、話の本筋が「USBを巡る戦い」であることを示している。そのためSWORDのパートは物語の展開の本筋ではないと考えられます。

 そして今回、このSWORDのパートにおいては、ROCKYの成長儀礼が描写されていると考えられます。

 SWORDの物語が子どもたちの物語であることは言を俟ちません。ですがこの中にあってWhite Rascalsは明確に「店」として商業活動を行っており、他のSWORDの子どもたちより少しだけお兄さんです。パンフレットでもそのへんは言及されていました。

 ドラマでの焼きそばのエピソード[5]があるように、ROCKYの過去はすでに説明されています。ですがが、図で示したように、ROCKYのみドラマ~レッレにおいて成長儀礼が存在していません。ドラマシーズン1、シーズン2、ザムの流れの中でDTCを除く山王連合会[6](シーズン1におけるノボルの帰還)、MUGEN(ザムにおける本来の姿を取り戻した琥珀さん)、鬼邪高校(シーズン2全日定時激突編)の成長儀礼はすでに描写されています。達磨一家はシーズン1からザムの間にかけて成長儀礼が行われているのが日向の「白皙の美少年からマハラジャへ」のイメージチェンジによって表現されているといっていいでしょう。

 なぜ成長儀礼が必要なのか。ここでザムに目を転じると、ザムは徹頭徹尾「子どもの喧嘩」だったことが指摘できます。これは、琥珀さんを唆す李が、張城の「息子」である点からも指摘できます。龍也という「父[7]」を失った琥珀さんは大きな子どもであり、その大きな子どもを叩いて直すのがザムの本質です。琥珀さんの錯乱状態は龍也さんの喪失によるグリーフケアの失敗に原因が求められると同時に、琥珀さん自身が精神的な父としての龍也さんに依存的な状態になっていたことが原因といえましょう。琥珀さんは、コブラやヤマト、九十九さんたちのパンチによって、自分の居場所を再確認して龍也さんにきちんとお別れが言えるようになるのです。キャンベルがイニシエーション儀礼について「成長して、本当に父親を知るようになった息子にとって、試練の苦悩はすでに耐えられるものになっている。[8]」と述べるように、これは明らかな成長儀礼です。

 これに対し、ザム3では九龍グループという「大人[9]」との喧嘩になります。ではこの「大人」とは何か。ここでHiGH&LOWにおける「正しい大人」の定義を確認しましょう。龍也や弁護士、尊龍や西郷などの特徴、パンフレットにおける監督の発言、またHiGH&LOWにおいて何度も繰り返される言葉「痛みを知るから、優しくなれる」から総合すると、HiGH&LOWにおける「正しい大人」とは「痛みを知り」「守るものがあり」「他人を尊重し」「他人を信頼し」「むやみやたらと喧嘩をしない」存在であると定義することが可能となります。無論、年齢的な問題も存在していますが。

 九龍グループの大人たちは、かつては持っていた「他人を尊重する」という点がザム3においては欠けているため、「正しい」大人とは言えません。また、ウキウキ爆破大臣をはじめとする「政府」の人間たちは「痛みを知らない」点から正しい大人とは描かれない。そもそもこの二つの派閥は悪の既成権力として描かれています。

 SWORDの子どもたちは儀礼を重ね「正しい大人」に近づいてきました。そして、ザム2は「子ども同士の戦い」から「大人と子どもの戦い」への段階的なステージの移行がなされる境界的な作品です。つまり、この作品においてメインキャラクター[10]の成長儀礼が完了し、顔見世も済ませることで、最終的な抗争への準備が整うのです。

 ROCKYはザム2で初めてWhite Rascals以外のチームを頼り、勝利します。この他者への「信頼」こそがROCKYに欠けていたものであり、彼がザム2という儀礼で手に入れた大人への条件です[11]

 以上のことから、ザム2はROCKYの成長儀礼としての側面を色濃く持つ作品だと指摘できます。本稿の論証は以降、この点を前提にして進めることとします。

 

[1] ザムにおける李の台詞より

[2] https://www.ldh.co.jp/pyramid/index.html

[3] 同上

[4] 39人

[5] ギャンブルに狂った父の借金を苦にして母と姉が自殺、母が作って残しておいた焼きそばを食べて家を出奔した後大人になるROCKYのエピソード。(ドラマシーズン2)

[6] 正確には元・MUGENの二人とノボルの成長儀礼であり、DTCの儀礼としてはザム3を待たねばならない

[7] 精神的な父を指す

[8] J. キャンベル『千の顔を持つ英雄 上』倉田真木他訳、早川書房2015年221頁

[9] 本来は九龍グループも「九世龍心を父に頂く子どもたち」であるとの指摘も可能である。だが、SWORDを潰したがっているのは龍心なので、龍心存命中は大人との戦いであると考えられる。

[10] SWORDの頭たちとMUGEN、雨宮兄弟たちを指す。スモーキーさんは大人の事情でザム3に繰り越しである。

[11] 無論、LDHのパワーバランス的な面から今回はROCKYを中心に据えたとすることも否定できないし、実際そう言った面もあるだろう。