きつねにっき

推しに引かれて善光寺

3. ファウストと『仮面ライダービルド』

3.  ファウストと『仮面ライダービルド

 

 本稿では、上記にまとめたファウストをモチーフにした作品群を便宜上『ファウスト文学』と呼称することにします。

 『仮面ライダービルド』がファウスト文学の影響を受けていることは、まず悪の組織の名前がファウストであること、その悪の組織が科学者を中心とし、反倫理的な研究を行っていることなどが挙げられます。そもそも科学の功罪について言及するこの物語は、倫理と科学という局面においてときおり引用されるファウストを避けて通ることは不可能でしょう。(そしておそらく、前提となっている作品はゲーテファウスト』でしょう)

 さて、ファウスト文学をファウスト文学たらしめているものは何か。それはすなわち、主人公が自分の欲望を反倫理的な他者と手を結ぶことによって成就するという枠組みといっていいでしょう。

 この反倫理的な他者とは何者か。ファウスト文学においては「悪魔」として登場しています。ファウスト文学が生まれたドイツは当時キリスト教世界観の下にあり、神に属する人間に反する存在は全て悪魔ということで説明がついていました。前述した民衆本は、悪魔に手を出すとこうして人間は破滅するぞという教訓譚としての意味も持っていたのです。しかし、宗教改革から近代科学の発達、個人主義の勃興を経た18世紀においては、悪魔は文学におけるファンタジックな登場人物としての機能を強くします。具体的な恐怖や脅威の対象ではなくなったのです。ゲーテファウスト』におけるメフィストは時には主人公以上に人間臭い、シニカルな魅力を備えた登場人物となっています。

 ゲーテファウスト』におけるメフィストは、ファウストを見守る神の手のひらで踊る道化です。また、ヘーゲル哲学に基づいて、肯定(ファウスト)に対する否定原理であると指摘する研究者もいます[1]

 20世紀において、トーマス・マンメフィストファウストの病気によって現れる幻覚の中の人物として設定しました。つまり、悪魔は人間の内部にあるとしたのです。トーマス・マン第二次世界大戦中、ナチスドイツによって故郷を追われた人物ですので、この経験が彼の作品にそのまま落とし込まれていると言ってもいいでしょう[2]

 

 『仮面ライダービルド』において「メフィスト」という固有名は出てきません。もちろん、ややこしいからに他ならないことがその理由でしょう。

しかし、科学者が自ら「ファウスト」と名乗っているのは興味深いところであると考えます。ここにおいては(葛城や幻徳のすすめる)科学の発展そのものが悪(の要素を持つもの)として語られる場面が多くあります。万丈は16話の時点で、葛城巧(戦兎)=科学=悪だということを口にするシーンなんかがそうですね。

それに対して戦兎は、科学は利用するものの心持で善いものにもなるし悪いものにもなると言っています。科学の創る明日はどっちだ、というところです。科学=理性と受け取れば、個人的にはこうした部分にゲーテファウストっぽさを感じます。あくまでぽさですが。

 戦兎はファウストなのかと考えると、そもそも戦兎は「桐生戦兎」として人格形成されたところからは自ら進んで反倫理的な他者に身を委ねたわけではありません[3]。とはいえ、反倫理的な存在としての科学だとすると、戦兎はファウスト的立ち位置に立っていると言えましょう。

興味深いのは、明らかに反倫理的な結果をもたらしたハザードトリガーを戦兎に与えたのは石動であり、その向こうには葛城巧がいます。現時点で確実にファウストと言えるのは葛城巧だと考えられますが、彼は同時にメフィストとしての働きも行っています。

そしておそらくというか確実に、メフィストはわくわくクソ外道おじさんブラッドスタークこと石動惣一でしょう。

 続いて、彼らの関係性を洗ってみたいと思います。正直ややこしい…。

 

[1] Winfried Marotzki: Der Bildungsprozeß des Menschen in Hegels „Phänomenologie des Geistes“ und Goethes „Faust“. In: Goethe-Jahrbuch104. 1987. S. 151

[2] この物語は音楽家レーヴァーキューンの人生を語り手ツァイトブロームが追憶するという体裁をとっており、ツァイトブロームがこの追想録を書き始めた1943年からの出来事が文中に事細かく登場している。

[3] E. T. A. ホフマンの『影をなくした男』のように近代人の主体性の喪失と関連付けて考えるにはしんどい気がする。