きつねにっき

推しに引かれて善光寺

熊林弘高演出:シェイクスピア「お気に召すまま」を見てきた話

まあ仕事辞めましたよね!

今はとっても元気です。ニチアサも元気に視聴しています。

今は別の場所できちんと自分の本当にやりたいことと向き合っています。

 

 

本題です。

舞台公演「お気に召すまま」を見てきました。

www.asyoulikeit.jp

 

シェイクスピアによるなのでお話のネタバレもへったくれもありません。

が。

古典作品の面白いところは演出が違えば毛色が大幅に変わる点だと思っています。

私にとっては以前見たシェイクスピア作品といえば佐々木蔵之介がやっていた「リチャード三世」。シルヴィウ・プルカレーテの演出でかなりシュールでした。大好き。

また、翻訳やどこをどうカットするかで同じ題材でも大きな違いが出たりする。これは異国語で劇を上演するときの面白さだと個人的には思います。

ということで以下、演出のネタバレがあります。

残る公演は少ないですが、仁義は通したいのでブランク開けます。書くの久しぶりなのとビジュアル面でのパンチが強かったのでいつも以上に混沌とした文章になっていますが、リハビリを見ていると思ってご寛恕ください。また、ご存知の通りHiGH&LOWの林蘭丸を拗らせているので今回は中村蒼を目当てに出かけて行ったことをお含みおきください。ええ、まだ拗らせています。
 感想は皮肉屋にして気鬱の虫、性に奔放な旧公爵の廷臣ジェイクスが中心になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中村蒼を見にシェイクスピア劇に行った話。もしくは、推しが観念上の鹿とセックスしてた話。あるいは、道化タッチストーンと皮肉屋ジェイクスの演出に関して。
 
 
事前に「エロい」「いい匂いがする」「エロすぎて集中できない」「新境地」等怖い情報を見て縮み上がっていました。しかし毎回ブルドーザーみたいに新境地を開拓しているので多分同年代の中でも図抜けてレンジが広い役者さんですね。特に気の毒な役を演らせたらトップクラスだと思います。

朝ドラでは今度こそ幸せになってほしい。

とにかくなんだよ「いい匂い」って超怖い。と思っていたらスタンドフラワーの中にジョンマスターオーガニックの社長さんからのお花が(満島ひかりさん宛てのもありました。シックでおしゃれなお花だった)。いい匂いはジョンマスターオーガニックだったんですかね。森の住人だからかしら。

「お気に召すまま」を観るに当たり 、数本の論文を読んでから挑みました。
「お気に召すまま」には種本があり、登場人物はその種本を踏襲しています。ただ、ジェイクスとタッチストーンの二人だけがシェイクスピアによって生み出された人物です。高橋康也は「道化の文学」においてタッチストーンの造形は時の道化役者を反映したものだと述べ、さらにヘンリー四世のフォルスタッフから連なるその性質を分析し、シェイクスピア劇全体の道化史を述べています(高橋康也「道化の文学」中央公論社1977年、127頁)。

 しかし今回の熊林演出における道化タッチストーン(演:温水洋一)の立ち位置は微妙なところです。
 道化タッチストーンはシェイクスピア作品の中でも宮廷道化として特筆される存在です。台詞運びはもちろん、最終的に結婚という道化として前代未聞のイベントをぶちかましているのがその理由です。
 ですが、今回の演出ではタッチストーンは数いる登場人物の中でほんの少しだけ位相が違うだけの人物になっている、物語のシステムの中に安住する人物のように思いました。
 訳の関係上、タッチストーンの機知は下ネタに極振り、エロ太郎状態。でもほかの登場人物も負けず劣らずエロ太郎及び下ネタ姫状態。風紀紊乱王国です。その中にあって、今回のタッチストーンの場を道化的機能は演出の中に馴染みすぎちゃったというのが私の感想です。
 また、特に「おやまあ」と思ったのは彼の衣装。「まだらの衣装」とセリフの中で言われているように、彼はまだらの服を来ています。黄色いシャツに赤いタータンチェックのスカート。ド緑のハイソックス。派手。
 宮廷のシーンでは、ロザリンド(演:満島ひかり)、シーリア(演:中嶋朋子)のビビッドカラーワントーンのドレス、男性陣のきちんとした服に対してはまだ差別化が図られていました。
 対してアーデンの森。脱ぎ散らかされた服で表現された「森」の住人は色とりどりの服というか布というかを引っ掛けたり、とにかくカラフル。もしくは半裸。ロザリンドとシーリアは羊飼いに扮装しているのでそこまでカラフルではないものの、ギャニミードとロザリンドの境界が曖昧になったになったロザリンドはシャツに生脚(!)。派手。
 そう、タッチストーンの衣装は森の住人に紛れてしまいます。靴下をギャニミードにわけてあげてほしい。寒そう(森の住人の逸脱性が衣装で示されていた、とも言えましょう)。
 ラスト、オーランド(演:坂口健太郎)とロザリンド、オリバー(演:満島真之介)とシーリア、シルヴィウス(演:荻原利久) とフィービ(演:広岡由里子)、そしてタッチストーンとオードリー(演:小林勝也)。この四組が結婚式を挙げる時、彼らの服装は統率が取れていました。パッと見て違和感がありません。
 
 それに対し、中村蒼演じるジェイクスの服は真っ黒です。オールバックで(あと腕のとこ透けててエロい)。
 もうこれだけで「あっこいつヤバいやつだ」とわかります。初っ端マジで逸脱行為をぶちかましてくるので衝撃がすごい。冒頭に書きましたが鹿とのまぐわいです。この時点でこの劇のジェイクスのキャラがわかります。
 ※原作ではもちろんただジェイクスは矢が刺さった鹿を見て陰鬱な気持ちになってぶつぶつなんか言っているだけです。よもやまぐわいなど。
 その後はもうやばい。エロい。語彙は死んだ。生きててよかった。ありがとう熊林弘高。みたいな場面の連続です。ありがとう熊林弘高。
 さて、この演出におけるジェイクスは性にものすごく奔放です。ただしその奔放さはカラフルな森の住人とは違って少し質の違う奔放さのように感じました。
 たぶん、他の登場人物と比べてねっとり動くからでしょうか。皆さんがわりと軽やかに動くのに対し、ジェイクスはわりとゆっくり動いていたように思います(唯一素速かったのは、ギャニミードにあるはずのものがなくて「あれっ?」ってなってた時。かわいかった)。ゆっくり動くのは大変なのでかなり鍛えないとしんどいはず。すごいなぁと思わず唸りました。
 ベンチプレスとプロテインで鍛えたという、程よく仕上がった坂口健太郎との絡みはエロティックなんですがオーランドの人柄のおかげで辛うじて品がありました。その前のアミアンズ(演:テイ龍進)との絡みはスギちゃんも裸足で逃げ出すワイルドさでした。服着てたし袖もあったけどさぁ。
 今回の演出では、ジェイクスは最後、結婚式に背を向けて客席に座ります。そしてロザリンドの幕の言葉に何も返すことなく、客席の後ろに消えて行きます。タッチストーンが物語の枠内で幸せを掴む道化なら、この演出におけるジェイクスは物語の枠外に出て、祝福の輪の中からはじき出された哀れな道化になります(祝福を伝えるジェイクス・ド・ボイスを中村蒼が二役で演じるのも象徴的です)。
 旧公爵とジェイクスの視線の絡み合いは軽やかな恋の鞘当てではなく、ドロドロしている情念を思わせます。恋に恋する人間の多いこの劇の中では異色の感情かと思います。
 そう、愛とエロスはイコールではないとジェイクス自身がさまざまな人とまぐわうことで示しているのに、ジェイクスはそれを求めるキャラクターだということが(動きと目線だけで)徐々に明かされ、最後のシーンでジェイクスはそれを諦めたことが示されます。黒い衣装。森の住人と同質ではなく、宮廷の人間でもない、ジェイクスは性質としてひとりぼっちであることがここではっきりします。
 熊林演出における「お気に召すまま」。この作品の道化はタッチストーンであるとみせかけて同時にジェイクスであり、役割の軽重で言えばジェイクスに大きく振れているように感じました。
 
 中村蒼はどうしてこう、「断絶」「寂しさ」を背負った際の火力がすごいのか。天ぷら油の火柱ばりにどうしたらいいかわからんかった。
 林蘭丸にしろ、「悪人」「詐欺の子」にしろ、「わかりあえない」「はじき出された」といったアウトサイダーの役がバチバチにハマる。
 身体表現として適切というか、なんというか。これが役者さんの力だと言われればそれまでなのですが、それでも中村蒼はやべぇなと感じた劇でした。オフではふかふかのお布団で寝ててくれマジで。
 また業の深い役をしてくださいお願いします。