きつねにっき

推しに引かれて善光寺

ファウスト文学史の観点から見る仮面ライダービルド 1

 

1. はじめに

私はこの悪の組織「ファウスト」の名前の由来となった文学作品「ファウスト」に関してはちょっといろいろ思うところを持っているのでこの仮面ライダービルドを見始めたのですが、意外や意外、この物語は文学作品ファウストの流れを非常に色濃く受け継いでいます。そのため、本腰をうけて考察しようと思い立ちました。

 本文中において人物名は全て敬称略で示します。

 

2. 『ファウスト文学』とは何か

 日本において最も人口に膾炙しているファウストは、J. W. ゲーテによる一連の『ファウスト』諸作品といっていいでしょう。大学教授ファウストはすべての学問に倦み疲れ、悪魔メフィストと契約をする。ファウストが「時よ止まれ、お前は実に美しいから」と述べたら、すなわちすべてに倦んだファウストが満足を覚えたら、ファウストの魂をメフィストにやるという契約である。メフィストファウストを市井の女性との恋愛や魔女の宴へと誘う。古代ギリシャにおいて美の概念に触れるなどの冒険をした後、ファウスト干拓事業に着手する。その中で未来へと進む人類の希望に触れ、契約の言葉を口にする。メフィストファウストの魂を地獄に連れていこうとするが、神やかつてファウストを愛したグレートヒェンもまた天上からファウストに手を差し伸べ、ファウストの魂は天上に迎えられる。という筋書きです。

 しかし、ファウストを描いたのはゲーテが初めての人物ではありませんし、そもそもファウストは架空の人物ではなく、十六世紀ドイツに実在し、当時の人々に「悪魔と契約したけしからん学者」として糾弾されたという人物です。

 十六世紀ドイツは、ルターによって火ぶたを切って落とされた宗教改革に伴う混乱の真っただ中にありました。法王を頂点とした宗教的階級社会、つまりカトリックの信仰に基づいた社会ではなく、人間は神の前では皆一人の人間であるとしたプロテスタントの信仰が生まれました(しかし、貴族や平民と言った階級はそのままでした。このあたりの変革はもう少し後の話になります。ここではあくまで信仰の話です)。同時に、集団としての信仰から個人としての信仰に変わるということは、当時恐れられていた悪魔に対して一人一人が立ち向かわねばならないということで、人々の心には不安と恐怖が渦巻き、魔女狩りや異端審問の嵐が吹き荒れました。さらに、科学技術が勃興するものの信仰の壁はいまだ厚く、科学技術は神に背くとして白眼視された時代でもありました。

 その中にあってファウストは、悪魔と契約した男として有名になりました。悪魔の力で死んだ人を蘇らせたり、馬商人を騙したりしていたとされています。現代のように情報が発達していない時代のことですから、ファウスト以外の有名な人物のエピソードが彼の行いとして誤って伝えられ、ファウストと一体化したりもして、尾ひれはひれが付いてファウストの物語は雪だるまのように膨らんでいきました。

こうした伝説は書籍としてまとめられ、民衆本(ありていに言えばジャンプとかモーニングみたいなやつ)の素材として長く愛されることになります。ゲーテはこの民衆本を基にした人形劇を見て、ファウストを書いています。

 ゲーテだけでなく、イギリスの作家マーロウもファウストを元ネタにした物語を書いています。また、スペインにも同様にファウストを元ネタにした物語があるそうです。レッシング、レーナウ、ハイネ。比較的最近の人であればトーマス・マンなど、ファウストはドイツを中心としたヨーロッパで息長く語られてきた物語なのです。

 日本においては、手塚治虫が再三再四ファウストを素材とした作品を発表しています。未完の作品「ネオ・ファウスト」はゲーテの作品を下敷きに、舞台を昭和の日本に変えて描かれていました。

 そして、ファウスト仮面ライダービルドの世界の、倫理を度外視した科学者たちの集団として描かれることとなりました。(続く)